こんにちは、シータです。
2回目の自然周期移植で妊娠判定をもらい、その後妊娠6週目で自然流産してしまいました。
この記事では、自然流産までの経過や症状、お空に帰った天使たちについてなど、短い間だったけど私のお腹の中に宿ってくれた小さな命の証を記録したいと思い、ブログに書くことにしました。
結構重たい内容かもしれませんので、これから先を読まれる際はご注意ください。
【前回ブログ】
shitanblog.hatenablog.com
突然現れた出血
妊娠6w0dの夕方、シャワーを浴びようと脱衣中、オリモノ用ナプキンに茶色~ピンクの出血が少量付着しているのに気づきました。
1~2時間前のトイレの時には何もついていなかったのに。
血圧が下がる感覚、激しく鼓動する心臓、下着を持つ手が震え、「血の気が引く」という言葉は、まさにこの時の私にぴったり当てはまる言葉でした。
クリニックの受付時間はとっくに過ぎていたので、これ以上出血が増えないようサッとシャワーを浴び、ベッドに横になってひたすらGoogleで検索しました。
- 妊娠初期の出血は良くあることで特に気にする必要は無い
- 流産しかけている可能性がある
など、良くも悪くも半々の結果でした。
私は祈るような気持ちで、
「大丈夫、この子は大丈夫!この出血はすぐ治まるし、明日クリニックに行って心拍確認できる!」
と泣きながら何度も何度も声に出して自分に言い聞かせました。
その気持ちとは裏腹に、徐々に生理痛のような子宮がギューっと収縮する痛みが強くなり、出血も少しずつ増えて最終的には鮮血とレバーの様な塊も出てき始めました。
この塊の中に赤ちゃんがいるかもしれないと思うと怖くなり、出血を凝視することができませんでした。
子宮内に何も残って無い
翌朝8時、クリニックが開くと同時に電話で症状を話し、10時過ぎに予約を取ることができました。
生理痛の様な痛みと出血があるので、切迫流産であることを念頭に時間までベッドで安静にし、クリニックへはUberタクシーで向かいました。
診察までの待ち時間、出血と痛みは続きながらも、昨夜に比べてそこまでひどくはならなかったので、頭の中では
「これは切迫流産、安静にしてればきっと大丈夫!出血も明日になったら減ってるはず!」
と少しポジティブに考えれるようになって、夫とも少し談笑できる余裕が出てきました。
診察室へ呼ばれ、すぐにエコー。
Dr.は厳しい顔で、
「子宮内に何も確認できない…」
と言いました。
何度も何度もエコーでグリグリと胎嚢を探してくれましたがどこにも見つからず。
Dr.からは、
「出血と共に、既に流れた可能性が高い。でも子宮外妊娠の可能性もまだ否定できないから、激しい腹痛や多量の出血が起こった場合、すぐ救急外来へ向かって!」
と説明を受け、子宮外妊娠の可能性を調べるための採血をとられました。
※採血結果は、HCG値が下がってきており子宮外妊娠ではありませんでした。
説明を受けながら、しっかりと聞いてるはずなのに頭が真っ白になっていて、先生が言ってる意味を理解するのにかなり時間がかかりました。
呆然と、採血をとられた腕を押さえながら徐々に
「あぁ…お腹の子はもういないんだ…」
と、実感し涙が溢れてきました。
夫は静かに私の手を握り、
Dr.は悲しそうな表情で「I'm so sorry...」と声をかけてくれましたが、返事をしようにも全く声が出ませんでした。
そんな心がズタボロの時に、帰りの道の交差点で8ヶ月くらいの妊婦さんとすれ違ったんです。
妊活中・不妊治療中は、妊婦さんや赤ちゃんを見かけるのがすごく好きでした。
私もいつかあんなお腹になるんだ!
私もいつかあんな可愛い赤ちゃんを産むんだ!
と、妊婦さんや赤ちゃんを見る度に夢と希望でいっぱいになっていました。
でも流産宣告された直後に妊婦さんを見るなり、また涙がとめどなく溢れ、心臓をギューッと握りつぶされたような苦しい感覚に襲われました。
私の赤ちゃんも、順調に育てばあんな風に大きくなるはずだったのに…と何とも言えない絶望に近い悲しい気持ちでした。
しばらくは妊婦さんや赤ちゃんを見ると、自分の育たなかった赤ちゃんを思い出して辛くなってしまいそうです。
赤ちゃんはもう居なくてもつわりの様な症状は続く
妊娠中のほとんどは眠りづわりで、毎日昼寝も含め14~16時間ほど眠っていましたが、寝ても寝ても頭にモヤがかかったような、夜勤明けのようなスッキリしない感じが続いて常に眠く、5週目後半から少しずつ食べづわりが出てきていましたが、食べれば治まっていました。
エコーでお腹の中にもう赤ちゃんがいないことはわかっているのに、眠気と胃のムカムカ感は少し続き、とても切なくなりました。
恐らく流産による極度なストレスによる胃部不快感と、黄体ホルモン補充による眠気の可能性もありますが。
出血は6w0dから始まりましたが、いつお腹の中で赤ちゃんが成長を止めたのかはわかりません。
もしかしたら、採血でHCGを確認した後~胎嚢ができる前かもしれませんし、胎嚢ができてからかもしれません。
しかし次回受診日が7w4dの予定だったので、胎嚢確認をする間もなく流れてしまいとてもショックでした。
せめて5wで胎嚢確認ができていたら…。
そしたらもっと早く流産を知れたかもしれない。
もしかしたら胎嚢が見えて、写真を…この子が頑張って生きた証を残せたかもしれない。
でもここは日本ではなくオーストリア。
その国の基準で検診予定週が決まっているので個人ではどうすることもできないんですよね。
※不妊治療・体外受精でも、基本何も問題がなければ移植した日から数えて5週目の検診になるそうです。
妊娠は本当に奇跡の連続だと思い知らされた
妊活を始めて約3年。
今回2回目の移植で陽性判定をもらい、浮かれていたのかもしれません。
私たち夫婦は、家族や友達、もちろんブログ内でも赤裸々に不妊治療について話していました。
早すぎるとはわかりつつも、赤ちゃんの話題が出たり聞かれた時は、妊娠した旨を伝えていました。
妊娠初期の流産が多いことはちゃんと頭にありましたし、不安になることもありましたが、心のどこかできっと大丈夫だろう!と考えていたところがあったのかもしれません。
12週未満の初期流産は、母子に原因があるのではなく、そのほとんどが胎児の染色体異常(遺伝子異常)で、受精卵の段階で流産の運命が決まっている
という話はよく理解しています。
それでも、「おめでとう」と一緒になって喜んでくれた家族や友達、ブログを読んで応援してくださった方々にとても申し訳ない気持ちと、赤ちゃんを育てられない私になにか原因があったんじゃないか、などと自分を責めてしまうことがあります。
デジタルデトックスをすると言いながらも、結局色んな方のブログを読み漁ってしまったのですが…
- 妊娠判定時(BT14)でHCG502で基準値を少し超えていたけど、私の場合心拍確認前に流産。
- 逆に同じBT14でHCG300だった方は心拍確認&その後順調な経過をたどっていたり。
- 更に同じくBT14でHCG1500ほどあり、超順調とDr.から太鼓判をおされた方でさえ心拍確認後に流産していたり。
HCGの数値だけが妊娠の経過の全てではなく、赤ちゃんの生命力の強さは誰にも予測が出来ず、無事に産まれてくるまでが奇跡の連続なんだ…と身をもって体験しました。
本当に妊娠・出産って奇跡なんですよね。
妊娠したら産まれるのが当たり前じゃない。
とてもとても尊い命なんだと痛感しました。
夫の思いやり
流産宣告後、泣きじゃくる私を見て夫は、
「次は絶対大丈夫だから!一度妊娠できたんだから次は絶対上手くいくから!」
と慰めの言葉をくれました。
しかし私は、
『そんな簡単に次の治療へ気持ちを切り替えることはできない!
あなたは男だから、実際にお腹の中で子供を授かってないから、失った私の気持ちがわからないんだ!』
と怒りました。
今思えば、とても失礼なことを言いましたし、ひどい八つ当たりだったと思います。
でもこの苦しくて悲しい気持ちをどこにぶつけていいのかわからず、夫は次の移植(未来)を既に考えていて、今回の流産の辛さを一緒に共感してもらえていないという孤独を感じました。
姉に電話をして何時間も私が落ち着くまでひたすらしゃべって泣きました。
母親に妊娠報告をした時とても喜んでくれていたので、流産の件を伝えたらどんなにショックを受けるだろう…と考えると自分の口から報告することができず、代わりに姉が伝えてくれることになりました。
電話を切ってリビングへ向かうと夫も義母に電話した後だったようで、夫は静かに涙を流していました。
「一番辛いのはシータだってわかってるから俺は絶対に泣きたくなかったし、シータの前では前向きなことを言って元気づけたかった」と。
それを見て、私は自分が本当に馬鹿だったと気付かされました。
男だから、女だからって関係ない。
二人で不妊治療・体外受精に真剣に一緒に向き合って、ようやく授かった子を失って悲しくない親なんかいない。
私だけが辛い渦中にいると悲劇のヒロインぶって、夫の気持ちを全然考えてあげられていませんでした。
自分の悲しい気持ちを堪えてまで、私を慰めようとしてくれていた夫の優しさに触れ、二人でたくさん話しながら一緒に泣いたあと、また少しずつ前を向こうと思えるようになりました。
いつも傍で支えてくれる夫には感謝の気持ちでいっぱいです。
お空に帰った天使たちのお話
引用:pixabay
みなさん、【かみさまのでしのでしのブログ】ってご存知ですか?
以前ネットサーフィンをしていた時に出会ったブログなのですが、このブログを書いている方「はるるん」さんの息子さんは、実は前世で神様の弟子をされていたそうです。
初めて聞いた方やスピリチュアルが苦手な方にはちょっと信じがたい話かもしれませんが、私は体内記憶を持つ子供や、前世の記憶を持つ子供の話を信じています。もちろん生まれ変わりも。
この、かみさまのでしのでしのブログでは、
- お空の上にいる赤ちゃんたちについて
- お空の上にいる赤ちゃんたちがお母さんを選ぶ方法
- お母さんのところへ行く方法
- お空に還った赤ちゃんの話
など、かつて神様の弟子であった息子さんが話したお空の上事情について詳しく載っています。
少し引用させていただきますが、他にも神様の弟子としてのお仕事や、神様についても色々書いてあるので興味のある方ははるるんさんのブログを読んでみてください☺
お空の上にいる赤ちゃんたちについて
産まれるのを待っている子供たちはお空の上の大きな雲の上にいます。
そこにはたくさんの子供たちと、子供たちをお世話する神様たちがいるそうです。
子供たちはみんな自由に動き回れます。
最初は骨の状態で、バラバラの骨を機械が組み立ててガイコツ状態を作ります。
その状態でもすでに動き回れるそうで、赤ちゃんの素みたいな感じだそうです。
それから各パーツをくっつけます。
それぞれのパーツには部屋があって、腕をつけるところ、身体、足、顔、目、鼻などを自由につけていくそうです。
引用:かみさまのでしのでしのブログ
お空の上にいる赤ちゃんたちがお母さんを選ぶ方法
お空の上で身体ができると、4~6人で一緒に木のお部屋に入ります。
部屋の中には大きなテレビがたくさんあって、そこに世界中の女の人がランダムに動画で映るそうです。
その中から子供たちは自分の気に入った女の人を選ぶんです。
画面には花丸や✕がついていて、赤ちゃんがすごく欲しい人には花丸、もう産まないですって人には✕がついているそう。
でも選ぶのは子供たちなので、花丸の人が優先というわけでも、✕だから絶対に選ばないというわけでもないそうで、✕でも、どうしてもこの人がいい!っていう子は行っちゃうそうです。
ちなみにお母さんを選ぶ基準はそれぞれですが、人気があるのは「優しそう」「可愛い」「楽しそう」という感じだそうです。
引用:かみさまのでしのでしのブログ
別記事で、
また病気で子供を産めなくなった方は、「私は選ばれなかったんだ」と辛く感じてしまいます。そんな方への質問に対して、神様の弟子だった息子さんによると、
【テレビにはどんな人でもちゃんと映っていて、今病気の人は『治ったらいけるよ』っていう△マークがついている。】
病気とかでどうしても赤ちゃんが産めなくなってしまった人や、治療を頑張っても赤ちゃんができない人は、赤ちゃんは選べないのか?という質問に対し、
【選べるけど生まれることはできないから、別の人のところへ行く子もいれば、そのお母さんが生まれ変わって赤ちゃんが産めるときまでお空の上で待ってる子もいる。】
引用:かみさまのでしのでしのブログ
お母さんのところへ行く方法
お母さんを選ぶと、お空から出て実際にお母さんを見に行く。
実物を探し当てられないとダメなんだそうです。
そしてお母さんが見つかると、お空の上からお母さんに通じるドアがあり、そこから入るのだそうです。
ドアはお母さんの背中右腰辺りにつながっていて、そこに入ると妊娠。
ちなみにお父さんにも同じ場所にドアがあり、もちろん赤ちゃんが入ってくるわけではないのですが、そのドアが壊れると赤ちゃんは出来ないそうです。
引用:かみさまのでしのでしのブログ
お空に還った赤ちゃんの話
産まれる前にお空に還ってしまう赤ちゃんは、神様にしか治せない風邪をひいたとか、お母さんに早く会いたくて手や足をつけ忘れてきちゃったときなんだそうです。
お母さんが何かしたから…ということではなく、赤ちゃんは何歳まで生きるか自分で決めてやってきます。
お空に還ってしまうときは、笑いながら「テヘッ、ごめんよ~(*´▽`*)」みたいな軽い感じで還っていくそうで、泣いたり悲しんだり、ましてや誰かを恨んで還っていく子は誰もいないそうです。
引用:かみさまのでしのでしのブログ
はるるんさんの追記で、
赤ちゃんは産まれる前から本当に色んなことがわかっていて、それはお腹にいるときもそうですが、そのもっとずっと前から。
なので、顔を見ることも、抱っこすることもできずにお空に還った赤ちゃんの、私たちには短すぎると感じるその一生さえ、実は十分楽しんだ日帰り旅行なんじゃないかなぁと思ったりするのです。
だから赤ちゃんたちは笑って還るんじゃないかと。
そしてその旅行をさせてくれたお母さんに「ありがとう」って言ってくれているんじゃないかと思うのです。
引用:かみさまのでしのでしのブログ
私の夫はドイツ人ですがキリスト教も信じない、輪廻転生を唱える仏教も信じていません。
「天国・地獄の存在や、もちろん生まれ変わりなどなく、人は死んだら無になる」
という考え方の人なので、幽霊なども信じません。
しかし流産後にこの【かみさまのでしのでしのブログ】の内容を夫に話してみると、意外な反応が返ってきました。
そっか!俺たちの子供はどうしても早くママに会いたくて、必要な身体をつけ忘れてきちゃったんだね!
1回目(化学流産)は多分足をつけ忘れて、2回目(自然流産)は手をつけ忘れてきたんだよ(笑)
せっかちで少しおバカさんなところはパパとママ似だね!
そんなにママのところに早く行きたいと思ってくれている子なんだから、次は忘れ物なく来てくれるはずだよ(*^-^*)
と言ってくれたのです。
ものすごい驚きましたし、夫の話を想像すると我が子が可愛すぎて笑えてきました。
そうだね、何度も来てくれようとしてたもんね。
今回は前回よりも2週間以上長くお腹の中に旅行に来てくれたんだよね。
お空に還った可愛い我が子に向かい、「ありがとう、また来てね」と伝えました。
そしてこんな素敵なお話を紹介してくださった、はるるんさんのブログの出会いにも感謝しています☺
夫から素敵なプレゼント
日を追う事に、泣く時間は徐々に減ってきました。
しかし今でもふと思い出すと、胸がぎゅーっと苦しくなり、目頭が熱くなります。
そんなある日、夫に「ペットを飼おうか?」と夫に提案されたのです。
私たち夫婦は動物(特に犬)が大好きなんですが、2021年1月20日に日本に残してきた愛犬(チワワ・ラム)を亡くしました。
夫との結婚が決まった時に、本当はウィーンに一緒に連れて来たかったのですが、当時重い心臓病と肺水腫を患っていて、動物Dr.から長距離フライトは体力が持たないだろうと言われ、泣く泣く愛犬の世話を母と姉にお願いすることにしました。
姉夫婦は子供がいなく、夫婦ともにラムのことを自分たちの子供のようにとても可愛がってくれました。
愛犬が泊まれるホテルやドッグランに頻繁に連れてってもらったり、たくさん綺麗な草原や公園へ散歩やピクニックに連れてってもらったり、手作りの洋服を着せてもらったり。
肺水腫が悪化した時も、姉は睡眠時間を削ってまで必死に看病してくれました。
3度の危篤状態を乗り越えられたのも、ラムの「もっと生きて家族と一緒にいたい」という強い意志と、献身的に最後まで尽くした姉夫婦・母のおかげだと思っています。
家族から本当に愛されたわんこでした。
亡くなる約1年前(コロナが流行り出した3月)に一時帰国し、それが私とラムの最後の面会となってしまいました。
死に際に立ち会えなかったことをすごく後悔しましたし、ラムの事を本当の娘のように想っていたので、私はもう二度とラム以外の犬を飼うことはできない、と思っていました。
そんな状況を夫は隣でずっと見てきていたので、今回犬ではなく、猫を飼わないか?という提案をしてくれたのです。
とりあえずブリーダーさんに連絡して、子猫に会ってみてからどうするか決めようという話になり、グレイのトラ模様の子と、オレンジと白の子を見せてもらうことに。
正直、夫と二人して一目惚れでした。即決です。
猫を飼うかどうかもはっきり決めてなかったので何も準備しておらず、慌ててペットショップへ用品を買いに行き、その日のうちに連れて帰りました。
写真:むぎ(メス)生後12週
人見知り&臆病の子でソファの後ろによく隠れてますが、少しずつ懐いてくれるようになりました。
流産をした直後は、
- もう治療やめようかな…
- もう誰とも話したくないな…
- 普通に笑える日は来るのかな…
などと暗い気持ちで沈んでいましたが、この子がおうちに来てから自然と笑顔になれる時間が増え、治療もまた頑張ろうと思えるようになってきました。
むぎの存在にとても助けられています☺☺
さいごに…
今のところ、次周期はお休みする予定です。
不妊治療のことは少し忘れて、むぎとの時間を過ごしたり、親友からいただいた在宅のお仕事をしたり、ネイルアートデザイナー・ネイルインストラクターの資格取得に集中して、気持ちのリセットができたらいいなと。
今後、不育症などの検査をするのか、次の移植をホルモン周期にするのか、胚盤胞2個移植をするのかなど翌週Dr. に相談しに行ってきます。
まだIVF-Fondsが2回残っているので、チャンスがある限り頑張りたいと思っています。
少しずつ前向きに考えられるようになってきましたが、連絡をくださった方々にまだ直接返信できていません。
ブログでの報告となってしまい大変申し訳ないのですが、もうしばらく気持ちの整理をつける時間をいただけたら幸いです。<(_ _)>
【次回記事】
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